7歳の出来事にサヨナラできた話

YouTubeをアップするようになって気がついたことがあります。それは良い変化です。自分を表に出して思ったことを言葉にして発表することが自分にとっての良いリハビリになったのかも知れません。

Kanoko portrait 26

まず、夢の内容が変わりました。

夢に出てくる姉にいじめられることがなくなりました。思い出したくなくても何度も夢に現れる姉。その度に嫌なことを夢でまたされていました。本当に嫌でした。ところが、動画を発表するようになってからは、夢に出てくる姉が私に頼み事をしたり、家から自分のものを持って出て行ってくれたり、恐怖を感じることはされなくなりました。縁を切っている姪っ子が出てきても嫌なこともされず、一緒に過ごして才能があって頑張っているなと思うような場面だったりします。

夢に出てきても目も合わせてくれなかった好きな人が、ちゃんと隣に来て目を見て話してくれるようになりました。

そして、これが一番驚いた変化。

最近、自分にとって辛すぎて忘れていたことをいきなり思い出すようになりました。これは、嫌なイメージとしてではなく、思い出せたことで、もうその事を封印する必要が無くなったというイメージです。

以前、CREDOさんに「7歳くらいに何か嫌なことがあったはずだけど思い出せますか?」と聞かれました。その時は全く覚えがなく、「もしかしたら下校時に痴漢にあったことかも」と思っていました。確かに痴漢にあったことは相当ショックで今でも忘れられない辛い体験ですが、それ以上に私が男性を受け入れたくない。と思うような出来事で本当に忘れていたのを先日急に思い出しました。

ちょっと嫌な思い出を書きます。多分その経験で私は人に好かれることを心の中で拒絶したのだと思います。過激な内容ではありませんが、サバイバーさんは読まないでください。

小学校でリコーダーを初めて音楽の時間に演奏することになっていた時、クラスの男子が私のリコーダーをこっそり口にくわえているのを目撃してしまいました。もう恐ろしいほど気持ちが悪く、嫌悪感でいっぱいでした。思いっきりその男子の口に入ったリコーダーを自分は口にしなくてはならないのです。恐怖でした。でも「先生、あの子が私のリコーダーをくわえたから私はこのリコーダー使えません」と言えませんでした。子供だったけど、口にされたのはその子が自分を「好き」だからで、後ろめたいセクシャルな行為をされたのだと感じ、そういう事は先生になんて言えることではない。と思ったからです。クラスメートにからかわれ、「わーいわーい!○君は、Kanokoが好き!間接キスした!キスしたー」と一生言われる。それもとても嫌でした。私は、気持ち悪いのにそのリコーダーを使いました。屈辱感でいっぱいでした。リコーダーを使っている私をみて、その男子は喜んでいるのかも知れない。変態だ(変態という言葉を知っていたかわかりませんが、そういうニュアンスの気持ちを覚えました)悔しい、気持ち悪い、吐きそうだ。音楽の時間を耐えて過ごしました。

その子のことは、見るのも嫌になりました。「人に好意を持たれることは、こんな屈辱的で気持ちの悪いことをされてしまうことなのだ。もう絶対に男子に好かれたくない。男子は好きな人にこんな気持ち悪いことをするのだ。好かれたくない。好かれたくない。」そう思ったのです。

この時心に刻んだ決意に私は今の今まで苦しみました。好意を持たれることへの恐怖はずーっと続くのです。信じられない方もいらっしゃるかも知れませんが、幼心が傷つくとそういう結果になるのです。

でも、最近になってそれを思い出すことができ、やっとその時の自分に「かわいそうだった、嫌だった。先生や親に言えなかった自分も責めていた。よくがんばった。もう、自分を好きになる人がいても、その人に嫌なことはされない。絶対されないから受け入れて大丈夫だ」といっぱい言いました。

子供のちょっとした悪戯を軽くみてはいけないのです。スカートめくり、からかうこと。それは一生された人を苦しめます。私は子供を持つことはなかったけれど、今も沢山の子供たちが同じような経験をして苦しんでいると思う。そして、それを放っておけば、大人になってからの差別やセクハラ、パワハラ、暴行につながってしまう。被害者を責めることも、それくらい平気でしょ?と言うことも絶対にダメです。どうか、世界中の誰一人として、こんな経験をすることがないよう、ダメなものはダメだと言い続けていきたいです。

そして、私はやっと解放された。動画を発表することは私に合っていました。私は小さい時から、「一人徹子の部屋」遊びをしていました。インタビューアーとゲストの両方を自分でやってずっと一人でしゃべり続けていました。それを堂々と発表できる世の中になってよかったなー。今も、原稿も準備しないでいきなり話始めますが、いくらでも話せます。まさに自分の時代来た!遅かったけど、来た!という感じです。だから誰に何を言われようと動画アップはやめないのです。

絵の方はどうしたの?そんなの私の勝手です。私は今したいことを今するのです。私の人生だから。

アップしなくても、画面に向かって自分の気持ちを話して、それを自分で見るだけでも良いかも知れません。言いたいことを言えないのは相当にストレスです。同じような体験者の方はやってみて。

 

それではまたね!