赤木さんを忘れない

bunsyun

 

私がスコーンの写真を載せたりするふんわりした人だと思っていらっしゃる方がいらしたら、残念ですが違います。物心ついた時から世の中を牛耳っている主要なものや権力者を疑い「何か間違っている気がする」「この人たちの思い通りに自分の世界を作られるのはごめんだ」と考えて、時に反発し、納得いかない世界からは脱出して生きてきた人間です。

テイラー・スウィフトが自分の考えを表明し始めたように、私もはっきりと主義を主張する権利があります。幸い、私には失う家族も名誉もありません。むしろ、自分の保身のために、世の中の不正に目をつぶり、意見を言わないことの方が自分の思う名誉や誇りを失うと思っています。

ツイッターやインスタグラム、facebookで何かを言うと、フォローしている方の目に勝手に流れてしまうのでそこで意見を言うことはなるべく控えています。でも、私のホームページは私がお金を払って運営している場ですので私は此処では意見を言う権利があります。この記事は、ふんわりしたものしか見たくない、聞きたくない方は読まないでください。


私は、今現在、政府の腐りきった状況に怒りが収まりません。自分が政権を保持するために、事実を隠し、文書を偽造し、隠蔽し、自分の味方になって嘘をつく人間を出世させ、犯罪すら握りつぶす。まともな答弁をしない。もう信じられないほど堕落していると思っています。

3月18日に発売になった週刊文春の「近畿財務局職員 魂の叫び」を読んで、もう黙ってはいられないと思いました。権力者の発言のつじつまを合わせるために、公文書の偽造をさせられ、自らの命を絶ってしまった赤木俊夫さんの手記全文が載っています。この手記と、配偶者が提訴に踏み切った経緯が書いてあります。この週刊誌はもう完売しておりますが、記事を書いた相澤冬樹記者と高校からの同級生でメディアコンサルタントの境治氏が記事について約1時間語っているYouTubeがあります。もし、ご覧になる意志がある方は見てみてください。ただし、お酒を飲みながらの会話です。不謹慎だとか思われる方には最初からお伝えしておきます。政府を批判する内容ではありません。ただ事実を言っているだけです。相澤記者は「政府の批判は一旦やめなくてはいけない。まずは、真実が何であったのか、それを明らかにしなくてはならない」そうはっきりおっしゃっています。私はその点もこの投稿をしようと思えた点です。注)この動画のリンク先が切れていたので動画は削除しました。

この国が、私達の住む国が何をやっているのか知りたくないのか?それを知ってもまだ選挙に行かず、この政権を続けさせるのか?私は絶対に嫌です。コロナウィルスの検査をさせず、感染者の数を伏せてオリンピックを何が何でも決行するのは誰のためか?憲法を変えたいのは何故なのか?人事を握って自分を守ろうとする権力者を支持するのか?支持しないまでも何をしようが黙っているのか?忖度する大企業は偉いのか?私は全部受け入れられません。そんな社会を心底軽蔑します。いい加減にして欲しい。

赤木さんは、音楽を愛し、書道を愛し、建築を愛し、週末にはご夫婦仲良く出かけて芸術を楽しむごく普通の愛すべき人だったのです。その方が、何故あんな人たちのためにこの世から居なくなってしまったのでしょう?そのご遺族に対して、「この人は一番偉い人ですよ?分かってますか?」などと言える人間ってなんなんですか。

この世で、心が正しいと思うことができ、考え方が似ていて、趣味も合うようなパートナーと出会うことは奇跡に等しいと思います。赤木さんご夫婦はその奇跡に巡り合って仲良く暮らしていて、赤木さんは、仕事に誇りを持ってきたのです。その人から尊厳を奪った権力者たちが公正に裁きを受けないで良いなんて国はもう国ではありません。独裁者の独裁国家です。笑顔の赤木さんの写真や文春に載っている几帳面な書斎の写真を見て、この方が楽しく生きていた毎日と、苦しんだ後半の日々を思い、この人がこの世にもういない事実に涙が止まりませんでした。

私の作品はそういう怒りを表すタイプものではないので、はっきりと言葉として反対の意思を表明します。誰かの批判を気にしてにこにこ偽りの笑顔で生きることはできません。私は今回のこの告発を無駄にしたくはないのです。裁判で公正に真実が明らかになるまで「赤木さんを忘れない」。公正な世の中になって初めて私は心から笑えるのです。もちろん、私の意見に反対するのも自由です。ただ、私は議論するつもりはありません。説得されるつもりもありません。ご自分でどう感じるか考えてください。

相澤記者は、森友問題を追及したため、異動させられNHKをやめた方です。それでも、一緒に仕事をした仲間がまだNHKに残っているとおっしゃっていました。NHKを辞めたからこの手記を託され、今回のスクープとなった。でも、NHKで30年記者をしてきた経験があったからこそ今の活動ができる。とはっきりとおっしゃっています。私はその部分も自分に刺さりました。私は今までこういう意見を書くのをためらったのには、かつての職場の仲間の存在があります。それはいわゆる私が批判する大企業側で働く人達だから。私は仕事の内容やその企業が行なっていることが信じられなかったり、許せないと感じ退職することを選びました。その代償として安定した収入や大企業で働いているという肩書き、世間でいう名誉を失ってきました。自分の誇りを守ったことには後悔はありません。でも、この投稿は同じ職場に残っている友人達を責めることにはならないか?常に考えてていました。私は今も昔の職場にまだ残っている友人達を尊敬しています。ただただ、私は今のこの国にのさばる権力者や企業の上の方の人達の行いが嫌なのです。赤木さんがそうであったように、そこで誇りを持って仕事をしている人達はみんな私と同じです。どうかそれだけは間違って伝わらないようにと思います。私も今までの職場での経験があってこそ今の考えに至ることができ、そうでなければ世間で起きていることに無関心で生きていた可能性があります。全ての経験の上に今があることを幸運だと感じます。私はあまりにも無謀すぎる人生を生きてきたかもしれない。だからこそ、声をあげる役目は私が受け持たなくてはと思います。