一番悲しい好きの形

"Girlfriend"

映画の日に2本映画を観ました。「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」と「ロケットマン」です。ネタバレありますので、知りたくない方は読まないでください。

「ワンス・・」はタランティーノ監督の様々な映画へのオマージュと実際にあったシャロン・テート事件を織り交ぜた作品です。この映画は、映画好きな方達から好意的な感想が多いような気もしましたが、私は中学時代には休みの日には6時間も映画を観続けたくらいの映画好きではあるものの、西部劇やマッチョな男性映画を好まないせいもあって、少し居心地が悪い感じでした。とにかくタバコを吸いまくるのですが、それさえも息苦しくて観ていられず、最後のあのシーンはやはり直視できず目をつむっていました。タランティーノ監督の映画は好きな人多いけれど、私は昔から少し違和感があって、やっぱり合ってないような気がします。ユマ・サーマンとイーサン・ホークの娘がある場面で一瞬登場するのですが、そこはなるほどなと思ったり、今は亡きルーク・ペリーや、大好きなエミール・ハーシュが出てたりと贅沢な主演俳優達は見所かと思います。ブラッド・ピットの足の長さには今更ながら驚きました。そういうどうでもいい事はよーく観ていましたが、とにかく苦手な要素が多すぎて、私はもうタランティーノは観ない方がいいかもしれません。シャロン・テート事件を絡めたかったタランティーノ監督の狙いというか思い入れかもしれないけれど、その部分が、この事件を何か感情が入った形で自分の中にしまっている私にとって、分かるんだけど、何だか嫌だ。そんな空白ができてしまって今は結論が出ていません。

今日のブログの題名は、もう一本の映画に対しての言葉です。「ロケットマン」は、エルトン・ジョンの物語。幼い頃からの「誰からも愛されない」という悲しさが全く解決しないままセレブになってしまったエルトンの辛い心のお話でした。この映画を観て気がついたことがあります。エルトンは、詩を書いていたバーニーを愛していましたが、バーニーは異性愛であったため、「君を愛している。でも形が違う愛なんだ」と言って友人として関係が続いていきます。この時、エルトンは受け入れてもらえなかった事はもちろん悲しそうではありましたが、その後、バーニーが女性と仲良くなるのを見ているエルトンの方がずっと辛そうでした。私は思います。好きな人に受け入れてもらえないこと以上に辛いのは、「好きな人に好きな人がいること」です。自分以外の形ある存在を愛おしく見つめる大好きな人を見るのって、一番辛いと思います。自分ではない誰かになら、この人はちゃんと愛情を示せるのか、という自分への絶望感。自分には絶対見せない優しさや愛情を他の誰かに示しているという事実は、自分の存在に打撃を与えます。

エルトンは、常にこの状態に置かれていました。そんな中で、世界中のファンの期待には応えていかなくてはならなかった。自分が必要としている時、愛している人は側にいてくれなかった。大金持ちになったエルトンは、いつまでも、ハグしてもらえなかった小さな小さな少年のままです。エルトンがプールに落ちた時、幼いエルトンが彼を見つめているその目を見て、私は涙が止まりませんでした。

「自分が大切にされている」と感じる人を愛すること。最近読んだ本に書いてあった言葉です。それがないと、いつまでたってもエルトンのように幼い自分が「それは違う」とブレーキをかけてくる。だから胸が苦しくなると思います。エルトンは、今夫となった男性と出会って本当に幸せそうです。幼いエルトンから解放されたと思います。全ての人が、そんな人と出会えるといい。そう感じました。

 

今日は映画の日なので、豪華に3時間のハリウッド映画を2本観てみましたが、私はヨーロッパ映画やインディーズ映画の方が好きだなと思った日曜日でした。

今日の記事に、私の描いた「Girlfriend」という作品が浮かんだので載せました。お互いを大切に想っている二人。