大切なおめでとうの言葉

Kanoko

昨日、とても自分らしい写真を撮った。髪に巻いているターバンを撮ろうとした写真だったけど、なりたい自分の顔をしていると思った。笑っていないけどとても好きだ。強そうだ笑。

今日は、私にとってのとても大事な話を書こうと思う。少し前のブログにも書いたけれど、私には大好きな人がいた。最後はメールで喧嘩みたいになって、もう2年くらい連絡も取れずにいた。私が絵が好きで一生懸命模索して絵を世に出したいと思っていたずっと昔の頃のことも知っていて、絵を見せると感想を言ってくれて励ましてくれた。絵が欲しいとも言ってくれたし、どんな小さな出来事も喜んで話すと聞いてくれて、私が絵に関する報告をするのをとても凄いことだと喜んでくれた。

誰にも認められていない私にとってこのことがどんなに大切な支えだったか。その人にはどんな作品も全て見てもらって何か言ってもらうことが嬉しかった。絵以外の事でも、自分を認めてくれるような沢山の言葉や経験をもらった人だった。

でも、私の一方的な想いが強すぎて、当然のようにこじれてしまって戻らなくなってしまったのだ。それから、いつもいつも思い出して苦しかった。たくさん泣いて、悩んで、自分をケアするようになって、セッションを受けたりした。少しづつ、少しづつ変化が起きた。絵を諦めなかった。どんな事にも挑戦した。その結果、絵がどんどん描けるようになって、人との出会いがあって、絵を世に出せることになった。絵を買っていただけるという幸運もあった。

人には、彼のことを忘れます。第一もう連絡もないじゃないか。。と言ってはいたけれど、心の中では、最後は喧嘩みたいに途切れてしまったことが私を苦しめていた。あんなに絵で頑張っている事を喜んでくれた大好きだった人と嫌な感情のままお別れをすることの辛さは、母に最後に会った思い出の顔が悲しい顔だったという後悔と似ていた。そういうお別れは絶対に人を苦しめる。最後は笑っている顔を見なかったら、一生私は苦しいまま絵を描くのかもしれない。そう思っていた。

ただ、本当にごく最近の私は、前よりもアーティストとして生きていると感じるようになっていた。私とは何者か?そう思った時「イラストレーターKanokoです」そう答える自分の方がしっくり来るようになっていた。現実でもそう自分を紹介するような機会が増えていった。私をKanokoとしか呼ばない人もいるくらいだ。昔の私が想像していなかったような未来を歩いているのを感じ始めていた。

 

数日前、その彼からイラストで前進していることへ「おめでとう」という言葉が届いた。本当に嬉しかった。彼は、仲直りして「おめでとう」と言える人なのだ。この言葉をもらって、自分の中に昔とは違う想いを感じた。彼は私にとっての創作のミューズであり私を励ましてくれる永遠の友達なのだ。恋愛の感情を超えてそういう存在として生まれてきてくれた人だと思った。そう感じても苦しくないことに気がついた。私は私から解放された。あの頃、自分が何故あんなに彼に対して苛立っていたのか?それは、自分への怒りだったのかもしれない。自分を生きていない怒り。

「何かを忘れ、捨てなければ新しいものは入って来ない。」最近の流行りの言葉だと思う。でも世の中が全部そうなら生きている意味はないよ。自分にとってその人の存在が創作や生きる力になり続ける事だってあるのだということを私は伝えたいかもしれない。自分が成長することでそういう関係性が築けるという事を知った。ソウルメイトってそういうんじゃないのかな?

私は、私になることで他者への依存が友情に変わったのだと思う。自分に自信を持つこと、堂々とすること。私への課題が浮かび上がったこの一ヶ月。それを克服し、友情を取り戻せた。だから私はこんな自信を持った顔をしているんじゃないかな?

本当にありがとう。もう大丈夫。これからはお互いに励まして輝いていこう!自分の道で。