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A Time in Berlin

文化庁が「愛知トリエンナーレ2019」への助成金7800万円全額の交付中止を決定しました。既に採択された助成金の取りやめです。そもそも、愛知トリエンナーレ2019は、脅迫やテロ予告、電話攻撃、中止を迫るなどの行為によって、一部の展示が取りやめとなってしまった経緯があります。その時点で私は愕然としました。言うまでもなく、その展示には日本の負の歴史を訴えていると思われるものも含まれていました。中止を迫る行為は、過去の過ちを認めたくない、認めると不都合がある人々、自分の今の立場を守るためには一切の不都合を消し去りたい人々からの不当な介入にしか思えませんでした。こんな脅しが通ってしまったら、今後この国の上の方で国を自分のもののように誘導する人や組織に異議を唱える者が弾圧され、黙らされ、表に出さないようにされるのではと感じました。そして実行されてしまいました。

関係者が展示再開を目指す中、止めを刺すように今回の決定が発表されたました。交付が決まっている助成金を見込んでのアーティストの招集や作品制作が行われたはずです。今更お金は出しませんと一方的に言われ、制作費はどうなってしまうのでしょう。ローンの申請が通って買ったマンションに、やっぱりお金貸しませんと言われたらどうなるか?震えるほど驚きました。これが国のする事なのかと。こんな仕打ちをされたら関係者は本当に困るのを分かっていて、今後一切自分たちの意向に沿わない活動はさせるものかという前例作りに使われてしまったのではと感じます。この国が自分に歯向かうものへの見せしめとしてこの展示を利用し、外側から国民の心へじんわりとダメージを与えている気がします。この検閲のような脅迫が当たり前になったら、この国で行われる芸術祭、コンペ、ビエンナーレ、トリエンナーレ、いや、美術館の展示から個人の展示まで、いったい誰が意味のある作品を出品できるというのでしょう。もう表面上綺麗なだけの作品が並んでいる展示しか行われなくなります。こんな文化の国に生きて楽しいでしょうか?何かの作品から生きるヒントをもらったり、魂を揺さぶられたり、歴史を反省したり、そういう機会が奪われ、自分で考えることのできないロボット人間しか居ない国で生きたいですか?私は嫌です。

何度も書いていますが、芸術作品には好き嫌いがあって当たり前で、観た人が自分で考えてもう二度と観なかったり、何度もその人の展示を観に行ったり、途中から嫌いになったり、自分の気持ちに気付いたり、それがきっかけで人と出会ったり、成長したりするものです。その作者に作風や内容の変更を迫っても意味がないのです。法を犯したり、個人を攻撃したり、差別したりする内容でない限り自分の中で解決策を探すのです。その過程を飛ばして、上から観るものを聴くものを押し付けたら、一体豊かな人としての人生はあるのでしょうか?

私は、幼い頃から、ただ明るく、優しく、綺麗なだけの作品には興味がありません。魂が叫び、涙が溢れ、何日も思い出して考える。そんな作品に出会って今の私があります。それを取り上げられて、生きていく意味はありません。でもこれは、私の趣向でそれを好きな人に文句は言えません。でも私がそういう作品を創作する権利はあります。今、こんな恐ろしいことが起きているのに何も感じない人がいるのですか?過去には目を瞑って反省はしないのですか?ましてや、あの戦争を栄光と考えている人がいるのですか?

今年に入って、信じられないような出来事が続いています。今日も、電力会社の社長他数人が億のお金を受け取っていたことが明らかになりました。預かってただけと言って終わりにされようとしています。文書を偽造し、そのせいで心を痛め自殺する人まで出し、正直者を左遷し、都合の悪い文書は破棄し、記者会見では都合の悪い質問をする記者を排除し、予算委員会をずっと開かず、年金運用を失敗し、台風が来ても無視して組閣をし、まだ復興も終わらない被災者から家賃を2倍取り、メディアと料亭でご飯を食べ、ゴルフをし、何千万もの税金で国民のためにもならない桜を見る会を開き、お気に入りの人物の犯罪をなかったことにし、疑惑があった議員を復活させ、差別発言を繰り返し、街頭では反対意見者を排除し、反省せず仕事を続ける。どうして我慢できるのですか?

気候変動に意見を持ってヨットで海を渡ってきた少女に「金持ちだからできたんだ」なんて意見を言っているクールを装う大人。全く成長しない経済、消費税引き上げに文句を言わないのは何故ですか?女性が犯罪にあっても加害者が無罪になる。それが実際に起きているのに自分に起きていないことは関係ないから気にならないって本気ですか?このままでは本当に戦争をしだすかもしれないとは思わないのですか?

私は、絶対に二度と戦争は嫌だし、差別も襲われる人がいるのも、税金がお花見に使われるのも、嘘を言って招致したオリンピックに莫大なお金を使うのも嫌です。福島や原発の処理に使ってください。自然災害の被災者支援に使ってください。法人税を上げて消費税を撤廃してください。戦闘機を買わないでください。選挙に行ってまともな人に投票してください。国連に仕事のできない政治家を出さないでください。あの発言は驚いて言葉もないほど恥ずかしいです。

私は、今回の助成金不交付の撤回を求めるキャンペーンに賛同することしか今はできません。でも、こんな事が起きて、何かが私の中で終わって始まりました。もう来年のオリンピックは見たくありません。オリンピックのために練習を積んだアスリートの方達は頑張ってください。でも、私の信条として東京で開かれるオリンピックは賛成できません。

自分のホームページでこの意見を書くことは勇気がいりました。でも今起きている事があまりに残酷で、愛知トリエンナーレのこの発表でもう絶望の一歩手前まで来ました。人の反応を心配して黙っている時はもう終わりです。小さい頃から体制側には常に疑問を持って生きてきました。利益のために魂は売れません。はっきりと自分の意見は公表します。

写真は、2005年にベルリンを旅した時、「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑」で自分を撮ったものです。ベルリンの壁やユダヤの歴史を巡った旅はショックなことの連続でした。あまりに冷たいその空気に戦争や差別を二度と繰り返してはならないという思いと犠牲者への想いが溢れて撮影した作品です。ベルリンは、日本から来た私に沢山の考える時間を与えてくれました。帰国してもずっと考え続けました。この頃から、私は自分の意見を表に出そうと考え始めました。あるブログで毎日記事を発信していました。今、インスタグラムやツイッターで日々のキレイなものを発信するのが世の中の主となっています。でも私はもうそろそろ終わりにしようと思っています。私の住むこの国は、なぜ過去を隠すのだろう。戦争は犠牲しか残りません。もうこんなことは止めにしてください。