白いセーターと仕事

エジプト

大好きなブログ「犬が当たれば棒も歩く」のパーシーさんの過去記事を読んでいて(ほぼ全ての記事で号泣するのですが)気になった記事があります。「白い靴」という記事で、簡単に要約すると「職場で隣の席の女性が、いい人だったのにスケープゴートにされて苛められていた。その人が別の部署に異動することになった日、その女性がいつもと違う白い靴を履いていた。最後の日だから彼女なりに頑張ってお洒落をしてきたのか?どんな小さなことでも頑張っている人が、もうそれだけで好きです。」ということが書いてあって、やっぱりこのブログのパーシーさんは、私と似た気持ちを持った人なんだなと感じました。

最近は、「自分の好きなことを仕事にする」のが良いという価値観が語られることが多くなっている気がします。ブラック企業は問題だし、本当にやりたいことを我慢していたり、楽しさが感じられなかったり、人間関係に悩まされたり、満員電車が大変だったり、そういう環境から抜け出して得意なことを仕事にするのも大事だし、それが出来た人にも大変な道のりや苦労があって、それでもやりたいことを仕事にして人生を生きるのは素晴らしい。

それでも、私は、最初に書いた、最後の日に白い靴を履いて出勤してきた彼女のような人を大切に思います。職場で苛められていて、それでも仕事を辞めないで、自分を苛めていた部署を去るんだから「ばーかばーかあっかんべー」でも良かったかもしれないけど、自分のケジメとして白い靴を履いてきちんとした最後にした彼女は、やりがいのある仕事を持って頑張っている人と同じく素晴らしい人です。

 

先日の台風の時、交通機関が麻痺しているけれど大勢の人が駅に長蛇の列を作っていたり、タクシーに並んだりしている写真がツイートされて、それを見たフリーの仕事の人が、「並んでまで会社行くとはダサい。今時リモートで仕事できないなんて。僕は今、家でのんびり仕事してます」みたいなことを上から言っている人もいました。

そういうのって、本当に本当に嫌です。どんなにかっこいい仕事だろうと、あなたのその家でできる仕事を支えている通信会社のエンジニアは、どんなことをしてデータセンターへ向かったのか?考える頭はあるのでしょうか?停電したら早く復旧しろと、足を使って現場に行く人に文句言うの?どんな仕事が良くて、どんな仕事がダメとか、並んでまで会社へ行くのはダサい。だなんてお前が一番ダサい!と思います。

満員電車を放棄して自由になったと言っている人だって、どこからかお金を得ています。webで稼ぐ、みたいな手段を取っていると、クイックを集めるための無理やりな投稿を見かけることも少なくありません。あまりにみんな同じような手段を使っているので、もう記事を読みに行く気になれないこともあります。そういう部分はダサくはないの?とも思います。仕事に優越言ったりは出来ないと思う。(ただし、とんでもない政治と詐欺を働く野郎には文句言います)みんな一生懸命生きるために仕事をしているのは同じだし、その人のおかげで自分の仕事ができているのにどうしちゃったんだろうと思います。最近、こういう一見自由そうでそうじゃない場面に行き当たるのです。

最近、ツイッター界では、「バズったら宣伝して良い」なんていう風潮があります。ある呟きが何千、何万とリツイートされて話題になったら、その呟き主のアカウントを見に来る人がいっぱいいます。その時に、その話題になったツイートと全然関係ないのに、自分の宣伝を呟くのです。例えば、「私はイラストを描いています。今度こういう展覧会するのでよろしくおねがいします!お仕事の依頼はここへ」とか。そのバズるのを狙っているのか、最初は可愛い動物の動画だったりして、その人のアカウントへ行くと、結局宣伝したかったのか。。と思う時があります。最初の動物の動画さえ嫌な印象になってしまうほど、がっかりします。最初からイラストを宣伝して話題になるのは良いと思うけれど、話題のための手段としてこういう行いは好きではありません。

お金を稼ぐノウハウみたいなのに乗っかった人が勝つ世界が広がっているのを感じるけど、地道な人が損をするような世界は幸福とは思えないです。そのノウハウに乗ってる事象は気が付いてしまいます。全然面白くないです。

自分のしたいことを出来ないからと言って、誰かより劣っているわけではありません。どこかで優越をつけて語る人に惑わされず、特別な日は真っ白い靴を履こう。そういう心が何よりも素敵だと思う。そして、それを分かってくれる人もいる。そういう気持ちを持った人が、少しでも楽しいなと感じながら毎日を過ごせたらいいと思います。

 

小さい頃、大晦日に新しい洋服のセットを枕元に置いて寝て、お正月にその洋服を着るのが習わしでした。お正月用の洋服は、大抵真っ白いセーターだったのを覚えています。父は、普段スーツを着ない職業でしたが、誰かと会う時は、ネクタイを締めて出かけて行きました。私は、そういうケジメも好きです。自由とは、自分勝手にできることとは違う。不自由の中で頑張っている人を尊重したい。万人に理解してもらえないかもしれないけれど、私はそういう部分も大切にしたいです。

夢が叶う。って心地よい響きだけれど、それだけが人生の全てではない。外側から眺めて自分の行動が誰かの生きやすさや尊厳を奪っていないか気をつけたい。

写真は、色んな職業の人が行き交うエジプトの市場です。