突然の訃報にまだ気持ちがあたふたしている。
デザイナーの真舘嘉浩さんが亡くなってしまった。私は友達ではないけれど、何度かお会いする機会がありお話しさせていただいたり、InstagramやTwitterでフォローしていただいていたので、私が投稿したイラストなどに「いいね」を押してくださると「あ!真舘さんのいいねきた!」と声に出して喜んでいた。
デザイナーとして、アナログ時代から現在まで素晴らしい作品を出し続けてこられ、有名だし人気者なのに、お会いしても決して威張らず、人を見下さず、同じトーンで優しく話してくださった。一度など、わざわざ今まで作ったポストカードを何枚も送ってくださったことまであった。そんな時に添えられた言葉もユーモアも交えつつ、決して私が恐縮しないようにさりげない言葉が書いてある。
変かもしれないけど、私は自分の全ての作品や行動を真舘嘉浩さんならどう思うか?そう思いながら作っていた。
そのくらい信用できる大先輩だった。いや、友達ではないし、そう思っているのは一方的に私の気持ちだけなのだけど。
その真舘嘉浩さんが亡くなってしまい、私はもう何をしても見てくれる人はいないんだ。と、手が止まってしまう。
私は有名でもなんでもない。でも、素晴らしい大先輩が「いいね」押してくれることがどんなに自信をくださったか分からない。なぜ、私などにわざわざボタンを押してくださるんだろう?「ありがとうございます!」いつもいつもパソコンやiPhoneに向かって声に出して言っていた。
私の作品や行動に何か言ってくれる人は本当に誰もいない。褒めてくれる人も全然いない。そんな中、真舘さんはいつもまっ平な目線で評価をくださっていた。もちろん、全てに「いいね」を押すタイプの方ではなく、明らかにちゃんとみて判断してくださっているのが分かったから尚更嬉しかった。
もうTwitterからほっこりする呟きも聞こえないなんて。。
コロナ禍で本当に誰とも話をしてなくて、誰とも会ってなくて、限界を感じて、それでも真舘さんがちゃんと見ててくださるんだ。そう思いながら生きていた。そう思ってた人はいっぱいいると思う。まだ気持ちは落ち着かないけれど、感謝でいっぱい。
昨年末、もうInstagramとか辞めたいと思って最後の投稿をした。そのイラストの投稿にも「いいね」を押してくださって、ああ、この仕事間違ってなかった、と感じた。そのいいねが最後になってしまった。
どうか安らかにお眠りください。
上は真舘嘉浩さんの幼い時からデザイナーになるまでのお話を聞きに行った時の写真。
その時の様子はブログの過去記事 こちら をご覧ください。
下はイベントでDJ中の真舘さん。写真がいっぱい残ってて嬉しいです。(掲載写真は、イベント時に掲載許可いただいております。ご本人からも「いいね」を頂いた写真です)
宝物は、真舘さんから届いた封筒です。(そういえば、雷神様の切手は偶然かもだけど、雷が鳴っていると真舘さんのTwitterから「Macの電源を切っておへそを隠しています」という呟きが必ず流れてきたな。ほっこり)
真舘さんの作品には大好きなものがたくさんあるけれど、作品のタイトルと作品の中のテキストを読んだだけで展覧会場で胸がいっぱいになってしまったものがあります。そういうところも私が思う作品への考え方と同じだったことが嬉しいです。
頭の中にいつもいた真舘さん、ありがとうございました。
たくさんの人たちが悲しんでいる。
私が死んだ時、誰か悲しんでくれるんだろうか?
最後に頂いた、「いいね」。