記憶はなかなか消えなくても

BDI

吉本ばななさんのブログにカート・コバーンが亡くなった時のコートニーの言葉が書いてあって、ふと自分の感じたことを書いてみようと思います。

私には何年もずーっと好きだった人がいて、その人の全てが大好きだったし、数年間に共有した沢山の思い出があります。もちろん、容姿も大好きだったから、今も外を歩いている時、ネットを見ている時、映画を観ている時、「あ、この人好きだな」と感じる人は、ほとんどその人に似ています。そしてそれに気がつくと同時に少し悲しくなります。つまり、私が心を動かすもの全てにその人の記憶が被さってくるのです。

普段、忘れたと思っていても、そうやってまた思い出して、結局いつまでたっても忘れないのです。いい歳をして、ビジュアルにこだわるのか?と言われそうですが、私は、自分の好きなものに対する美的感覚を無視したくはありません。だから、好きになるものは共通点があり過ぎるのです。

容姿だけではありません。一緒に歩いた場所、イベント、食べたもの、全てにもれなく付いてくる!その人の出身地の文字を見ただけで、苗字の漢字を見ただけで胸が痛くなります。コートニーは、カートのお母さんの顔がカートに似ているから胸が痛いと言っていたそうです。それがものすごく理解できます。

私がその人を全て忘れるのには、ものすごい時間が必要か、私の好みがガラリと変わるか、そう簡単なことではないのでしょう。でも、本当に最近思ったのは、無理に忘れる必要はなくて、それほど私はその人が好きで、その人は私が好きな沢山のものを持っていた奇跡の人だったんだな。素敵な出会いだったんだな。そう感じるようになりました。そんな素敵な記憶を全否定する必要なんてないんです。

写真は、その人と行ったあるライブ開始前の写真に偶然私たちが写っている写真なのです。本人にしか解らないくらいどこにいるかは解らないでしょうが、私にははっきりと分かります。こういう写真を見ても胸が痛くなるというより、ああ本当に楽しかったな。そんな思い出があって幸せだなと思います。

こんなことを正直に書けるようになったのも、自分の中に何か変化があったからなような気がするのです。

今日は、アートとは全く関係ないことを書いてみました。