MOMAT 正木隆氏の作品と出会う

国立近代美術館でMOMATを観る。また新たな作家と出会いがあった。

ある作品で足が止まる。まるで音を失ったような世界。ここまで流れで観てきた他作品と全く違う何かを発してた。何だろう何だろう気になって仕方ない。作家の名前を確かめる。正木隆。作品名は「造形 01-20」という無機質なもの。作家の年代を確認すると2004年に33歳で亡くなっているようだった。33歳?この吸い込まれるような漆黒の中の青白い建物やどこに続いているのか分からないような暗闇の道路。一体何なんだ?この静寂の闇の中から私に伝えたい言葉が聞こえるようだった。写真撮影が可能な作品なのでとりあえず写真に収め、帰宅後に作家について調べる。彼は若くして自死してしまった作家であった。

正木隆 造形 01-20

亡くなってしまったからすごいのではない。それだけは言っておきたい。まず、私は正木隆という作家を知らなかった。ただその作品から発せられる途轍もないものに足を止められたのだ。彼の死については私は書くつもりはないけれど、最近私がここでも伝えてきたことが偶然にも重なってしまったような出会いだった。

何度も言ってしつこいかもしれないが、芸術の持つ力や意味には単純な美しさや明確な解釈や明るさという分かりやすい所にはないものがある。そうでなかったら、世の中の美術館は明るい作品だらけになっているはずだろう。しかし、私が足を止めたように、漆黒の闇や冷たさにもエネルギーがあって、人に力を与えることがあるのだ。実際、彼の作品は多くが購入されているようだ。でも、暗い絵を描く人を認めない一定層があることや、むしろ世の中は明るく輝いている絵を好む方が多いのも知っている。しかし、私は、他のどんな作品よりも今日の美術館全体で彼が一番響いた。彼がなぜ死んでしまったか私には分からない。でも、こんな作品を生み出した作家がもうこの世にいないことが悲しくてならない。彼が死ななくてはならなかった世界って何なんだ?

悔しい、悔しいのだ。私はあなたの作品が好きです。その言葉を彼に伝えたかった。

数日前にブログで紹介した坂口恭平さんが「誰に認められなくてもいい。ただたった一人の理解者は必要。もしその一人が見つからないなら、僕に送って欲しい」そう言っていたことの意味をまた思い出した。そうなのだ、そうなのだ。この事を伝えるべき人たちがいるのだ。それは、普通は見逃されてしまう、とても分かりにくい場所でひっそりと息をしている。でも理解者は必要なんだ。そして、理解者は絶対に存在するのだ。

私は、何と言われても、世間では全く反対のものが受け入れられていようと、誰からも理解されなくとも、この作品から発せられるものが負でも闇でもなく、人間の生のエネルギーであることを確信する。

私はあなたの作品が好きです。生み出してくれてありがとう。


その他、気になった作品。(写真撮影可能なもの。すでに観た作品やブログで取り上げた作品は除く。)

川田喜久治 地図」より 原爆ドーム 太田川 広島
川田喜久治 地図」より 原爆ドーム 太田川 広島

 

奈良原一高 「無国籍地」より
奈良原一高 「無国籍地」より

 

奈良原一高 「無国籍地」より
奈良原一高 「無国籍地」より

 

奈良原一高 「無国籍地」より
奈良原一高 「無国籍地」より

 

ゲルハルト・リヒター 抽象絵画(赤)
ゲルハルト・リヒター 抽象絵画(赤)

 

菅野聖子 レヴィ・ストロースの世界 I
菅野聖子 レヴィ・ストロースの世界 I

 

草間彌生 天上よりの啓示
草間彌生 天上よりの啓示

 

写真作品はいつも心に残る。そして、近美はリヒターの大きな作品が観られる事が嬉しい。菅野さんの作品は絵画と詩を関連づけるということに興味が注がれた。草間さんのこの作品はいわゆる草間作品として有名なものとも違って好きだと思った。

そんなわけで、MOMATは毎月観にきているが、その度に新しい想いが生まれる。