送られなかった作品を前に思うこと

今日は都知事選挙投票日でした。これを書いている時はもう結果が出ており、私は悲しいけれど決して諦めないという気持ちでこれを書いています。

6月30日には香港国家安全維持法案が可決され民主化団体が解散してしまいました。私は心を痛めています。今後の日本や一部の国が向かおうとしている現実を考えています。

数日前にInstagramでアップした投稿をここに転記します。私の思うところをあらわしています。この感染症と世界の動きを経験して私はもう以前の私ではないような気がしています。正直、自分の創る作品だけでなく、自分が他の人の芸術作品を観る時の気持ちも大きく変わってしまいました。以前と変わらない方ももちろん尊重します。自分は想像以上に感じるものが変わってしまいました。とりあえず、今はそれだけしか言うことはありません。


Instagramの投稿より

Kanoko作品梱包

これは4月に参加するはずだった展示のために張り切って梱包した作品の姿。そして発送しようとした矢先に家から出られなくなった。

その後、black lives matter、赤城さんを忘れない、検事総長定年延長、アベノマスク、詩織さんのことなど、その都度署名し、政府に意見を送り、ブログで意見を言った。何か言えばフォロワーは減り、もの言う女性へはクソリプが来る。女性というだけで道でもネットでもぶつかられる。自分が狂わないためにYouTubeで思ったことをアップし続け、人が離れていくのを眺める。

1人で誕生日を迎える。そして6月30日に香港国家安全維持法案が可決され民主化団体が解散してしまった。「生きていれば希望はある」という周庭さんの言葉。あの若さでこれを言わなくちゃならない現実。天安門の時も絶望したが、またこんなことが起きてしまった。私が死ぬまでに人が自由に生きられる日は来るのか。なぜ明らかに間違っている側が勝ち許されるのか。

私の国も変わらない。半世紀生きてきてこんなひどい政府はない。どんどんおかしくなっている。それを追求しない報道しないメディア。都知事選挙ではまたパフォーマンスだけの人が当選するのか。ここままじゃ自分が国を追われる日が来るんじゃないのか?

私は喜んでこの絵を梱包していた同じ気持ちにはもうなれない。以前のような絵はもう描きたくないし楽しくない。だからこの梱包された絵以降、私は全く違う人なのだ。

包まれたままの絵をまだ開けられない。この日の自分をちょっと思い出す。本当にこの数日後に起きたこと。
これから何を描くことになるのか毎日考えている。

オチはない。ただ香港の活動家達の顔を見ていると黙っていられなかった。

意見を言う人、自分を発表する人、政治について語る人、被害を受けたら受けたと訴える人が気に触る人がいるなら私のSNSを閉じることは構わない。もうただキレイなもの見て楽しいっていうのは終わったし。私はどういう風に生きていきたいか自分で考える。ホームページを持っているからそこで続ける。放っておいたらもう何も言えない日が来るかもしれない。そんなの絶対いやだ。


 

SNSをどうするかはまだ決めていませんが、私が自分で作ったこの大切なホームページ上では自分が思うことを発表し続けていきます。私は自由な国に生きているはずです。性別や国籍や年齢、職業、容姿、婚姻しているか、子供がいるか、どんな意見を持っているか、そんなことで判断されたり、意見を言う資格があるだないだの言われるのは間違っています。それぞれの立場には正反対の立場の人がいます、反対の側を見て、自分と違うと責め合っても一向に変化はない。自分の前だけを、みんなが前だけ見ればいい。私は現実に国を追われようとしている仲間たちを見放さず、生きている限り未来があったと証明できるよう、権力者の無謀を許さず、私がやりたいと思う活動を続けます。

 

Kanoko